京町家の歴史
町家ちょうかまちや)とは、主に京都の職住一体型の住居形式です。
 建築様式としては「町家造り」と呼ばれます。

平安時代中期ころより発展し、江戸時代の頃には
現在残る形にほぼ近いものとなった。「まちや」と読む場合は町屋とも書きます。

一般的に、店舗としてみる場合は町屋と書きます。
住居としてみる場合は、民家の一種であり、町家と書くことが多いです。

外観は、紅殻格子(べんがらこうし)と呼ばれる色の濃い格子、虫籠(むしこ)窓犬矢来などが
特徴的です。2階建てが多いですが、平屋や3階建てもあります。
※ 河村織物本社新築工事

 
町家の立地する敷地は、間口が狭く奥行きが
深いため、「うなぎの寝床」と呼ばれます。

これは、江戸時代頃に町費が間口に応じて
決められたためです。

当時の町は自治組織であったため、これが実質的に税金の意味合いを持っていました。

京都に現存する町家は、1864年の蛤御門の変ののちに発生した大火(どんど焼)以降に建てられ
たものがほとんどです。

平成10年の京都市の調査によると、町家は市中心部だけで約28,000残っており、毎年1,000軒
程度が失われています。

住居を指す町家という語は比較的新しく、昭和初期頃までは、町家(ちょういえ)とは町の集会所の
ことを指していました。

現在、古き良き雰囲気と、現代の建築技術・耐震・耐久性を兼ね備えた京都の町屋建築・京町家
がまた注目されてきています。